8月15日は終戦記念日です。もう、先の大戦から70年近く経ちます。
先日は神風特攻隊の作戦について紹介しましたが、今日は日本軍最後の帰還兵とも言われる横井庄一(よこい・しょういち)さんについてご紹介します。
横井さんの生涯についてご存知の方も多いと思いますが、改めて振り返ってみるきっかけになればと思います。
「恥ずかしながら、帰ってまいりました」

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横井庄一さんは、小野田寛郎さんとともに、旧日本軍最後の帰還兵として知られています。
今は日本人旅行客にも人気のグアム島で見つかりました。
その横井庄一さんの帰国第一声は、かの有名な「恥ずかしながら、帰ってまいりました」。この言葉は、その年一番の流行語になりました。
戦前に生まれ、徴兵までの間も軍事教育を受けた横井さんは、国のために命を捧げ、生きて戻ることはないという覚悟で出かけたために、帰国時にこのような発言をしたそうです。
 

徴兵は太平洋戦争が初めてではなかった

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横井さんがグアム島に行くきっかけになった太平洋戦争は1941年に始まり、横井さん自身も同じ年に軍隊に召集されています。
しかし、実は横井さんはその前に一度、軍隊に入っていたのです。1935年、日中戦争の頃に徴兵検査を受け、その後4年間軍務に服し、洋服の仕立て屋を開いてまもなく再び徴兵されたことになります。
1941年の徴兵後は、満州地方(現在の中国東北部)での軍務を経て1944年にはアメリカ軍の奪還の手が忍び寄る激戦地グアム島に配属されます。
その年の7月には太平洋戦争最大の激戦のひとつ「グアムの戦い」に参加し、日本軍のグアム守備隊は壊滅状態になりました。
ちなみに、グアム島を奪還したアメリカ軍は、こことサイパン島を日本本土爆撃、大空襲の拠点とし、グアムの戦いを気に本土でも敗北を察する人々が増えていきました。
 

1945年の敗戦を知らず、1972年まで「たった一人の戦争」

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1945年8月15日、日本は連合国によるポツダム宣言を受諾し、太平洋戦争に敗北しました。当然、全ての日本軍が降伏し、撤退することになります。
しかし、グアムの戦い以後もグアムの山の中に潜んでいた横井さんを含む守備隊残留メンバーは、ゲリラ戦を続けることになります。
降伏と撤収命令を知ることのなかった横井さんと戦友2名は、その後27年間に渡り「日本兵」としてグアム島に潜伏し続けることになります。
その間は、ジャングルや山中の竹やぶなどに設けた地下壕を中心にまさにサバイバル生活をしていました。
戦友2名は、その間に亡くなってしまいます。
 

帰国後は「サバイバル評論家」に。82歳で死去。



1972年、地元島民に発見された横井さんは、生きて再び日本の土を踏むことになります。
生まれ故郷でもある愛知県に居を構えつつ、サバイバル評論家としてオイルショック後の日本で評論活動を続けます。
1974年には参議院議員選挙に出馬するも落選。その後天寿を全うし、1997年9月、82歳で亡くなりました。