1985年(昭和60年)8月12日に発生した、日本航空(JAL)123便の御巣鷹での墜落事故。
あれから29年を迎える今、改めて事故までの操縦席の奮闘を知ることのできる貴重な動画があります。 

10年ほど前、 個人の有志が作成した、123便の交信記録と飛行経路をまとめたFlash動画
今、原典は見当たらなくなってしまいましたが、それを録画したYouTube動画は今も残っています
羽田離陸後まもなく、相模湾上空で操舵不能に陥ってから伊豆半島上空でダッチロールに陥り、その後羽田に引き返そうとして群馬県の御巣鷹の尾根まで蛇行してしまう、その間のコックピットの必死の努力を状況とともに分かりやすく伝えています。

この動画とキャプチャ、関連写真、事故直後のニュース速報をまとめました。
123便 異常発生から墜落までの軌跡(音声記録と地図)
※動画が見にくい場合、以下のキャプチャ画像をご覧ください。


事故当日の日本テレビ系「ザ・トップテン」
堺正章と榊原郁恵の司会中、ニュース特番が始まる(46秒過ぎ〜)

歌番組を進行しながらも、断続的にニュースが続く。
堺正章、榊原郁恵以外にも、TUBE、小泉今日子、中森明菜、薬師丸ひろ子、安全地帯などが出演していた。
この時、墜落地点はまだ正確に特定できておらず「長野県・北相木村(きたあいきむら)で墜落した」などと伝えられていた。

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事故機と同じ「ボーイング747SR-100」型機。
747型初代機の747-100を、空港が混雑して一便で少しでも多くの旅客を運ぶ必要のある日本市場専用に短距離(Short Range=SR)仕様に変更したもの。短距離化と引き換えに、座席数を500席以上に増やした。
事故機は、7年前の1978年に伊丹空港で尻もちをつく事故を起こしており、この時の補修の不備が、520名という史上最悪の死者数を出す結果につながったとされている。


【事故までの交信記録動画キャプチャ】


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相模湾上空。羽田からの離陸12分後、突然、垂直尾翼の後ろ半分以上がまるごともげ落ちた。

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即座に深刻な事態に気づいた機長(Captain=CAP)が、救難信号を発信。


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しかしまもなく、機体はダッチロール(きりもみ)状態に陥り、操縦が難しくなる。伊豆半島上空。

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所沢の航空管制センターから123便に交信を試みる。伊豆半島を過ぎ、焼津に近づいている。


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その後も様々、地上との交信が続くが、高度が下がり交信の余裕が無くなっていく。機長は地上との交信よりも、上がりすぎた機首を下げることに必死になっている。


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高度が下がったところに、山が見えた様子。衝突の危険を感じている。


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機長は思わず弱音を吐いてしまう。


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ここで後に有名になる「どーんといこうや」の発言。
事故直後からしばらく誤解を呼んでいたこの発言だが、交信記録を聞くと、コックピットを励まし気を強く持とうとする機長の必死の努力のひとつだと分かる。


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この非常事態にあってもなお、励まし続ける機長。コーパイロット(副操縦士=COP)も必死に対処している。


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米軍横田基地からも救護の連絡が入る。


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何か、山などの障害物に気づいたような声。


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高度が下がり、山肌に激突する危険が増す。高度を上げようとコーパイロットが必死で操縦を試みる。


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警報音が鳴り響く。地上に異常接近している、機首を上げろという自動音声。


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努力むなしく、御巣鷹の尾根に激突。衝撃音。


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翌・8月13日。事故の模様を伝える朝日新聞。
犠牲となった乗客には、坂本九さんの他、ハウス食品や阪神球団の社長も含まれていた。