1941年から始まった、太平洋戦争。
中盤以降、戦局が大きく悪化した日本軍は、アメリカ海軍・空軍の進撃を止め、太平洋の補給路を守るため「神風特攻隊」を組織しました。
 特攻機には、20歳前後の若い兵士も大勢搭乗し、そのほとんどが突入ないし撃墜によって戦死するに至りました。

フィリピン近海での特攻作戦など、 実際に米艦の進撃スピードを遅らせた事例もあるものの、最終的に日本は沖縄本土戦や広島・長崎への原爆投下を防げず、莫大な犠牲を払って敗北しました。
この悲劇を忘れてはならない― 特攻隊の突撃の瞬間の写真をまとめました。
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特攻隊出撃前、短刀を授けられる隊員。


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左の翼に砲撃を受けながら、なお敵艦に近づく特攻機。

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低空を飛び敵艦に接近する特攻機を撃墜するため、上から加えられた砲撃が海面に当たっている。機体の腹には、爆弾を積んでいることも分かる。
この写真は、その敵艦から撮られたものと思われる。

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1944年11月25日。激突の瞬間。米空母「エセックス」の甲板から大きな炎が上がる。59名が死傷した。


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同じく激突して炎上する模様を捉えた写真。

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突入一歩手前で撃墜される機体もあった。甲板上で破片が飛び散っている。


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甲板に打撃を受け、大きな黒煙をあげる米空母。

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米艦「イントレピッド」に突入しようとした特攻機は、迎撃で爆弾もろとも大爆発した。

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特攻作戦は、主に空母に突入して飛行甲板を使用不能にし、米空軍の侵攻のスピードを遅らせることを目的にしていた。

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艦載機を満載した空母に突入も、手前で迎撃。

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突入後の米艦の甲板。艦載機の残骸が広がり、使用不能になった。


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同じく特攻機衝突後の米艦。甲板を滑走路として使えず、使用不能になった。



*まもなく終戦記念日。日本軍最後の帰還兵・横井庄一さんについてもまとめました。